SMAPに最後まで頭を下げさせたい人がいるのはわかった
— むらさき🖇 (@april7sg) 2016年12月26日
あんなに長時間頭を下げさせて閉じた幕の内側を映して泣いているところを映して、それを見たがってる人はどこにいるの、テレビの前にはいないよ
— むらさき🖇 (@april7sg) 2016年12月26日
中居さんの涙は見たくなかった。
中居さんの大好きなSMAPのことで、あんなにやりきれなさそうな、悲しい顔をさせたくなかった。
そして中居さんの、真っ白くなった手の平と真っ赤になった指先に、この人たちの中でもまだなんにも終わっちゃいないんだと思いました。
あの手の振りは、わたしには「またね」の合図に見えた。「今はこれが精一杯だけど、それでも、またね」って言われた気がしました。
これはSMAPとどう関わってきたかによって見方も印象も変わるでしょう。何が正しくて何が間違っているというものではないと思います。
そしてわたしは慎吾くんが特に好きなのでどうしても慎吾くん贔屓になってしまうのだけど、明らかに泣くのを堪えているのが見て取れたのが、泣くのを我慢するときの癖が、心配で心配で……がんばって、泣かないで、って、テレビを見ていてそこに出ている人を見ていてあんなに祈ったことはないです。こんなにひどいことには泣いたっていいんだよとは咄嗟に言えなくて、それが申し訳なくもあった。なんか…うん、なんだろうな、この気持ちは。
慎吾くんは中居さんと木村さんの年上ふたりから「いちばん大人」「いちばんのしっかり者」と言われるくらい、周りが見えて自分の気持ちを抑えることのできる人だけど、でもやっぱりSMAPの末っ子なんです。優しくて繊細なこの人が、どうかこれ以上傷つかないように、少しでも心穏やかに笑顔でいられますようにと、祈るしかできなかった。
だけどみんな泣いてたね。
吾郎さんもつよぽんも木村さんも堪えてくれたけど、みんな泣いてた。
最後まで5人で何かを語ることをしなかったSMAP。
「語らせてもらえなかった」のか「敢えて語らなかった」のか、そんなのはもうどっちでもいいです。
ただ「何も語っていない」という事実があるだけ。そしてそのことがわたしを少しだけ救ってくれます。
これでぜんぶ終わりだなんてまったく思えないのです。
何年かかるかわからないけれど、何年かかってもいいから、きっと5人で戻ってきてね。
そう思い続けて生きていこう。
それまでちゃんと生きよう。
そういう、ある意味人生の目標はできたけど。
ただなあ……歌って踊るSMAPが見られない、全員40代のSMAPが見られない、あんなにかっこよくて美しい5人のステージが見られない、そこに関してはいつまでもメソメソしていくと思う。
ほんとうに悔しいし、さみしい。