はい。
みなさん、昨日はスマスマ見ましたか?
「S-LIVE」は見ましたか?
わたしは昨日の記事をアップしたあと、書くだけ書いたらちょっとスッキリして、なんなら放送を楽しみにする余裕まで生まれて、そのままのテンションで帰宅後『逆輸入~港湾局~』リリース時の特番で椎名さんが「青春の瞬き」や「真夏の脱獄者」について語っているところを見返して、途端に「待ってやっぱりこれだめじゃない!?すでにしんどいよ!?」ってなって結局まったく余裕のないまま22時を迎えました。
タモリさん来店のビストロ、すごくよかったですよね。
終始涙目で、ゲラッゲラ笑いながら、たまに泣きながら、楽しく見ました。
SMAPはタモさんと一緒にいるときだけ子供に戻れるんだよなあ…。タモスマ、大好きです。
で、まあ、S-LIVEですけど。
何目線だよ?何様だよ??って自分でも思うのだけど思いつつ言ってしまうのだけど、「よくやってくれたなあ」と思った。SMAPも椎名さんもよくやってくれた、あなたたちはすごい、と。
「青春の瞬き」という曲は、もちろん別れの歌と言って相違ないんだけれども、過ぎ行く時間の美しさやそこにある言い知れぬさみしさを描いていると思っていて、その無常さこそがこの曲のメッセージだと思うんですね。*1 決して、別れの前で立ち止まって哀しみにくれる「だけ」の歌ではない。
その無常さをSMAPが全身で体現/表現していたから、それを感じ取ってしまったから、ぐうの音も出ないほど打ちのめされてしまった。もうなんも言えん。これでは。
もっともっと痛々しい、悲壮感すら漂う歌になるかもしれないと思っていた。
だけど全然違った。
あんなに静かで、物悲しくてさみしい、美しい歌になるなんて。
あれは腹を括った人にしか纏えない美しさだった。
だからってわたしも一緒に腹を括れるかって言ったらそんなことはなくて、やっぱり悲しいし何ひとつ諦めたり受け入れたりできないけど、それとは全然別のところで、ああSMAPとスマスマスタッフはここまで来られたんだ、と思って、少し、ほんの少しだけ安心した。いいとか悪いとかではなくてね。
SMAPに、「今正に僕ら目指していた場所へ辿り着いたんだ」と歌われることが怖かった。どんな顔してそれを歌うの?どんな顔してそれを聴けばいいの?と思っていたから。
だけどSMAPは満身創痍で辿り着いたのかもしれないなあ……SMAPは一度死ぬんだ、というゴールに。*2
うーー。でもやっぱり嫌だそんなの。辛い。
わたしはこの曲の根幹にあるものを本当にはわかっていなかったんだなあ。
あんなにたくさん聴いてきたのに、体に刻まれてはいなかったんだ。
昨日のSMAPに刻まれてしまった。叩き込まれてしまった。もう「教えられた」とか生易しいもんじゃなくて「叩き込まれた」レベルでそれをやってのけるのが、この期に及んで、どうしたって、わたしの好きなSMAPで……ちくしょうこんなに大好きなのになんで、ってまた思うんですけど。
SMAPさんとは比較的初期から演奏や編曲で関わらせていただきましたので、個人的にも色んな沢山の思い出があります。
— 村田陽一 (@YoichiMurata) 2016年12月19日
そして今回のスマスマが私にとってはSMAPさんとの最後のお仕事になりました。
ちなみに今回の「青春の瞬き」は「椎名林檎と彼奴等がゆく百鬼夜行2015」の際にリズムセクションの上にフルート、フリューゲルホルン、トロンボーンの3管を新たに書かせてもらったバージョンでした。自分自身はとても気に入っているバージョンで、特に間奏を演奏している時が気持ちが高揚します。
— 村田陽一 (@YoichiMurata) 2016年12月19日
管楽器のアレンジと演奏でも参加していた村田陽一先生のツイート。*3
『逆輸入』の音源には管楽器が入っていないし、バックの演奏もCDと違うなとは思ったのだけど、百鬼夜行バージョンだったとは気がつかなかった…聴いたことあるじゃんね…。
あれはツアーのためのアレンジだから、こうやってテレビ等で使うための完パケ音源をそのときに録っているとは思えないので、たぶん、バックトラックはこのために新たに録音したんですよね?そして管楽器のお三方には収録に参加してもらって、生演奏で。
椎名さんがSMAPと視聴者のために用意した最新のオートクチュール。
いつもの仕事、いつもの流儀が、ここにもちゃんと貫かれている。泣いちゃうよ。
椎名さん、出てくれてありがとう。